Owner:佐藤郁雄のラスベガス&ツーソン紀行

Vol.1

火曜日の2月3日にアメリカアリゾナ州ツーソンで行なわれる授賞式に行く事を決めて4日発の飛行機予約を取りいざツーソンのホテルを探したのですが、どこも一杯。
いろいろ手を尽くしてやっと6日の授賞式の日だけ空港近くのマリオット系ホテルが取れました。
仕方がないので?4日、5日はラスベガスに行くことにしました。
と言うのも新婚旅行の提案に私はいつもラスベガスを一押しにしています。
しかし、ここ3年程行っていませんでしたのでどのように変わっているのか気になっていたのでした。

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2月4日JL062便17:25成田発ロスアンゼルス行きの飛行機に乗リました。(写真1成田空港)

飛行機は日付変更線を通過した為、同日朝の9:50ロスアンゼルスに着きました。
入国審査を済ませ税関を出ようとしたら、申告書類が古いものだったので新しい申告書に書き直し
入国審査官のサインを貰いに行きましたが、最初の書類にサインした審査官でないとダメなので探してしてサインを貰いました。
私が勧めて2月15日サンフランシスコ・ラスベガスに出発の新婚旅行カップルの事が気になり旅行社が同じなので、
日本に連絡をして税関申告書類を新しいのにしてもらうよう手配しました。
無事アメリカに入国出来、安心してラスベガス行きのユナイテット・エアーラインのターミナルまで
歩いていく時に写したのが写真2のロスアンゼルス空港のシンボルタワーです。

―1973年(ウエスト・ロスアンゼルスにあったGIAデザインコースを受けていたときの事)日本に帰る友達を
空港まで見送りした後に写真のシンボルタワーのレストランで妻と一緒に食事をしようと行き、
混んでいたので受付の前の椅子に座ったらサンダル履きの足が見えてしまい断られてしまった事を思い出しました―
ユナイテット・エアーライン587便12:57発のラスベガス行きの飛行機が離陸すると
日本ではもう珍しくないフリーウエイの立体交差が見えて思わず30年前を思い出して写真3を撮ってしまいました。
しばらくすると眼下に砂漠(写真4)が見え14:05無事ラスベガス(写真5)に着きました。

Vol.2

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ラスベガスのホテルは ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニー、ジュリア・ロバーツなどが出演していた
映画「オーシャンズ11」の舞台になったホテル・べラージオ(BELLAGIO)を取りました。
このホテルは、北イタリアのコモ湖畔がテーマでホテル前の噴水ショーとシルクドソレイユのショー”オー”は高く評価されています。

ロビーは映画で見たのと同じ天井一面にベネチアングラスの花が咲いています。(写真1)
このガラスの彫刻は “Fiori di Como” と呼ばれて、世界的に有名な芸術家Dela Chihuly の作品で
2000以上のガラスの花が2000スクエアフィートの天井に咲き乱れているのです。

ちょうど1月末から2月初めにかけて中国の旧暦新年。
ロビーの奥には巨大な人形や爆竹、赤い中国の5重の塔が建っていました。(写真2)

部屋のキー(写真3)を貰って16階のノースモーキングの部屋に行きました。
ベッドはキングサイズ、バスルームは浴槽とシャワールームが別になっていて六畳間位あります(写真4ベラージオのアメニティ)。
向かいは、エッフェル塔が見える建物がパリス・ラスベガス、その右隣はアラジン(写真5、6)。
ホテル前の噴水が上がるのが良く見える部屋でした。(写真7)

日本を出発してから、私が見たがっていたセリーヌ・ディオンのショー「ア・ニュー・デー」のチケットを
妻が彼女のネットワークを使って手配をしてくれていたようです。
このショーはホテル・シーザスパレスのコロシアム型専用劇場で行なわれるのです。
携帯に何とか取れたのだけどセリーヌ・ディオンが風邪のため4日、5日とステージがキャンセルになったという報告が入り残念!
それではとホテル・べラージオのシルクドソレイユ”オー” のショーを見たいと思い、
チケット・ブースに買いに行ってみましたが当然4日、5日の4ステージ全て完売。
日本に連絡をして再度彼女のネットワークを使ってもらう事にして、4日は早めに休みました。

※シルクドソレイユ・・・カナダのサーカス団。現在、東京・原宿新ビックトップでも”キダム”の公演を行っております。

写真8

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写真10

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5日、けたたましいノックの音で起こされました。
ドア・ノブにカードを出して置かなかったために部屋の掃除に来たようでした。時計を見たら10:30。
電話のメッセージボタンが赤く点いているので、ボイスメッセージを聞きましたら、
「シルクドソレイユ”0” の22:30からのショーチケットが取れたので14:00にべラージオのチケット・ブースに
クレジットカードとパスポートを持って行くように」と妻の知人の友人Mr.フイリップ・○○○からでした。
一言「オー!」(ひどい駄洒落)

14:00まで他のホテルを探索に行こうとシャワーを浴び支度をし、ベラージオからホテル・モンテカルまで無料のトラム(モノレール)に乗って行こうと思ったら、トラムの軌道の途中にホテルを建てているのでトラムは廃止になったそうです。
外にでてホテル・ニューヨーク・ニューヨークまで10分ぐらい歩きました。
ホテル・ニューヨーク・ニューヨークには『マンハッタン・エキスプレス』というローラー・コースターがあります。
人にお話するにも自ら体験しなければ・・・・と考えて、乗ったらとんでもない絶叫マシーン。
61.9mの高さまで上がって22.9m急降下、次の急降下は55度の角度で43.9mの落下。
ループあり、540度のスパイラルにハートライン・ツイスト(ひねりを加えたループ)、最高速度107.2km。4分間。
心臓の弱い方はやめておいたほうがよろしいかと思います(写真8・9は、哀れな写真が撮られていました。お見せしたく無かった・・・)。

興奮覚めやらぬ(フラフラ)状態でホテル・ニューヨーク・ニューヨークをでて、ハーレー・ダビッドソン・カフェ・ラスベガスのショップでマウスパット(写真10)を買い、
アラジン、パリス・ラスベガスのカジノを見てベラージオに戻りチケット・ブースでシルクドソレイユ”0”のチケット(写真11)を手に入れましたが、2枚だったのでUS$300でした。相手がいないのに困った!

お昼は、ベラージオのバッフェ(バイキング料理)の評判が良いというので入ってみました。
キャッシャーでUS$17.15をカードで前払いし、禁煙席に案内してもらってから料理を取りに行きました。
ローストビーフ、鳥、魚の料理、寿し、スモークサーモン、果物・プリン・ケーキなどの豊富なデザートとUS$17.15では安い!
私は、肉類を極力食べないようにしているので、巻き寿し、スモークサーモン、サーモンのクリーム煮、サラダ、プリン、果物とお腹一杯食べました。

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“オー”のパンフレット

“オー”のパンフレット

ベラージオのバッフェも調査?しましたので、シーザスパレスのショッピングモール「フォーラム・ショップ」に行く事にしました。

ストリップ大通りから「フォーラム・ショップ」に3年前は直接入れたのですが、セリーヌ・ディオンのコロシアム型専用劇場が出来た為、ホテル・シーザスパレスのカジノの中に一旦入ってから劇場入口の前を通ってショッピング・モールに行くように変わっていました。

ここには無料のアトラクション『フェスティバル・ファウンテン』(写真12)と『アトランティス』(写真13)と有料の『レース・フォー・アトランティス』があり、どれも以前見たり乗ったりしておりますが今回も『レース・フォー・アトランティス』に乗ってきました。
地球の歩き方リゾートの解説には「究極のバーチャル・リアリティ型アトラクション。
アイマックス・スクリーン+立体CG映像+27人乗りモーション・シミュレーターが世界で初めて合体。
さらに専用ヘッドセット使用で音響効果による臨場感もプラスし、「リアリティ度はラスベガスでいちばんだ。」とあります。そのとおり、いかれた方は是非体感してみては。

カジノ・チップ左上からルクソール、シーザスパレスのセリーヌ・ディオンの写真入5枚、
ミラージュ・ホテル、左下からベラージオ、ニューヨーク・ニューヨーク、アラジン(写真14)

「シルクドソレイユ”0”」のチケット1枚をさばかなければならないため22:00会場に行き買ってくれそうな人を探しました。
大体若い女性はカップルですし、お年よりは家族連れです。
キャンセル待ちの列の後ろにアメリカ人風(あとで聞いたらオーストリア人でした)の男性がいたので、「一人で来ているのか」と聞いたら「一人だ」と言うので交渉したら現金がUS$140しかないと言うのでそれで手を打ちました。

前から7番目の真中、最高の席でした。
写真15を写したところで注意されました。場内撮影禁止です。
ショーは生命体の基礎『水』がテーマのミュージカル仕立てのシンクロナイズド・スイミングありサーカスあり、芸術性・娯楽性・テクニックどれをとっても一流でした。
ショーが終ったのが0:00。
部屋に帰って荷物をまとめてから一階の「ヌードル」という中華料理店でお粥と春巻きを食べて部屋に戻ったら2:30でした。

Vol.3

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日も変わり6日2:30。今回の大切な目的、2003年度の「Outstanding Chapters of the Year」の授賞式が行なわれる地、ツーソンに行く日です。
直行便が一便だけで、ツーソンに夜中の2:00頃に着く便しか無い為、ロスアンゼルスで乗り換えて行くことにしてあります。
そのためラスベガスを6:30離陸のユナイテット272便の飛行機を予約していましたので、セキュリティ・チェックが厳しいと聞いていましたので2時間前には空港には着いておきたいと思い、
ホテルを4:00チェックアウトと考えておりました。寝たら起きられないので、TVを見て起きていました。
人一人歩いていないストリップ大通りをタクシーで抜けて空港へ。
思っていたほどセキュリティ・チェックは、厳しくなかったので十分空港で時間がありました。
ゲートの前のロビーにもスロットマシーンが置いてあり、さすがラスベガス。

ロスアンゼルスの空港で実際に目撃した光景をお話します。
ロスアンゼルス空港で待ち時間が2時間ほどあったのでいろいろ歩いて見て回っていましたら、日本人の女性二人と男性が息を切らしながらフェニックス行きのゲートたどり着いたらのですがゲートは閉じていて、飛行機はもう出て滑走路で離陸待機中。ゲートにたどり着いた時間はオン・タイム。
若い方の女性が英語で係員に抗議しておりましたが、彼曰く「時間は離陸時間だから」の一言でした。
私も遅れないように30分前にゲートに戻りましたらもう搭乗していて、時間より10分ぐらい早く動き出しました。
日本では、何度もアナウンスをして出発を遅らせてまで乗客を待っています。
『日本の常識、世界の非常識』海外に出られたらご注意ください。

9:30、ユナイテット6585便で一路ツーソンへ。
ロスアンゼルスを離陸すると海岸線を南下してサンディエゴの手前から内陸部に入っていきます。
海岸線を見ていましたら大きなヨットハーバー(写真1)が見えました。
周りが海に囲まれている日本でもこんなに大きいヨットハーバーは無いと思います。日本との生活文化の違いを感じました。

アリゾナ州に入ると眼下は砂漠、見渡す限り路無き砂漠、アメリカの広さを再認識させられました。

ツーソンも砂漠の中の町で写真2はツーソンに近着いてから写しました。
ツーソンについたのは定刻の現地時間11:53でした。ロスアンゼルスより1時間早い時差になりますから時計を1時間進めました。
写真3は、乗ってきた飛行機。ツーソンの空港ターミナル(写真4)は日本の地方都市並?の大きさでした。

ホテルの名は「COURIYARD」、マリオット系で空港の近くだと聞いていたのでリムジンバスが来るだろうと待っていましたが10分たっても来ません。
成田で借りてきた携帯電話で連絡したら5分ほどで迎えに来ました。
ホテル!どう見たってモーテル(写真5)。受付でタキシードをプレスしてもらおうと聞いたら、「夕方取りにきて明日の夕方に届く」と言うので諦め、ルームキー(写真6)をもらって部屋に入り、スーツケースからタキシードをとりだし、バスルームの湯船に熱いお湯を一杯にして、吊るしてドアを閉めておきました。
徹夜だったのでフロントと日本に電話をして16:30に起こしてもらうようにして寝ました。

表彰式プログラム

表彰式プログラム

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写真9

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写真9-1

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写真10

写真10

写真10-1

写真10-1

緊張しているせいかモーニング・コール前に目が覚めてしまいましたが2時間位ぐっすり眠れました。
タキシードに付いたシワも蒸気で取れていました。
シャワーを浴び→ひげを剃り→整髪し→ドレスシャツを着て→ズボンにサスペンダーをつけ→カマーバンドを巻いて→カフスをし→
蝶ネクタイを締め→靴下を履き→フォーマル用シューズに足を入れて出来上がり。
フロントに18:10に行きタクシーを呼んでもらうように頼んだら20分ぐらいで来ると言うので待っていましたが
18:40たっても来ませんので再度電話をして貰いました。
19:30からの授賞式に間に合わないのじゃないかと、間に合わなかったツーソンまで来た意味が無くなってしまう、だだんだん焦りだしました。
18:50ちょうどそのとき、ホテルのレストランで食事をしようと立ち寄ったタクシーにお願いをして、授賞式会場のマリオット・ユニバーシティ・パーク・ホテルに行ってもらう事にしました。
かなり飛ばしてくれたので19:05にホテルに着きました。運転手の顔が神様に見えたのはウソではありません。
勿論チップをはずみました。

ホテルに入るとロビーは受付を待つ人などで一杯でした。
GIAのスタッフにAlumni Associationの授賞式担当者Ms. Starta Turnerを呼んでもらい、授賞式にNGSを代表して来た事を伝えると、とても喜んで歓迎してくれて、Alumni ManagerのMs.Rosanne Mckennaを紹介していただき、彼女に私のケア-を頼んでくれました。
私が英語を話せないと思ったのかお話し相手になるように日本人の若いお嬢さん二人(写真7)を連れてきて紹介してくれました。
お二人は、GIA Japanで宝石学を勉強している生徒さんでアメリカの本校見学、今日のパーティー参加とツーソンでのミネラル・ショウ(宝石・鉱物の展示会)をみにきたと言う事でした。
「袖すりあうも多少の縁」図々しくも授賞式で受賞されているときの私の写真を撮影してもらうように頼みましたら、こころよく引き受けていただきました。

式は、始めにGIAへの寄付(お金だけでなく宝石等々)提供者の表彰式があり、次に故リチャード・リリコード(前校長)奨学金制度受賞者の授賞式の後、GIA Alumni Associationから、各地域の支部の表彰になりそこでNGSも受賞され、校長のMr. William E Boyajianから楯(写真8)を手渡されました(写真9、9-1)。
今回、NGSを代表して授賞式に出席できたことをとても名誉に思いました。
スピーチも練習し、準備万全でしたが残念ながらそういう晴れ舞台の場面はありませんでした(苦笑)。

式の後、ロビーで「NGSの佐藤さんですね」と昨年10月にNGS・GIA-CLUBに入会された小島さんに声を掛けられました。
小島さんは、一度社会に出てそれからGIAの宝石学コース(G.G)を卒業し、GIAのビジネスコースを受講中の好青年です。
こういう方が日本を離れ頑張っていると思うとNGS・GIA-CLUBがネットで絆を持てる事の意義は大きいと感じました。

別なボールルームでディナーとダンスパーティー(写真10、10-1)があり、
私は事前に登録していませんので本来は参加できないのですが、手の甲に判を押してもらい招待されました。
9:00過ぎホテルに戻りました。

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パンフレットと会場への入場パス

パンフレットと会場への入場パス

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7日は、AGTA GemFair TUCSON がコンベンションセンター(写真11、12)で催されているので見に行きました。
途中道路の並木がサボテンだったのでびっくりしましたがここは砂漠の真中に出来た町だからサボテンなんてあたりまえなのでしょうね(写真13)。
会場の様子、GIAのインフォメーション・ブース(写真14、15)、偶然お会いしたGIA校長とのツーショット(写真16)、などなど他にも写真に撮りましたので見てください(写真、17、18、19、20)。
会場でエメラルドの原石に彫刻したものを買い(写真21、21-1)、原石を利用した噴水とランプ(写真22)を注文してきました。
ツーソンを18:50のユナイテット7155便ロスアンゼルス行きに搭乗したとき、コックピットのドアが開いていたので写真23を撮らせてもらいました。
隣の席にウエスタンブーツ・ジーンズ・チェックのシャツ・カーボーイハットのカッコ良いお兄さんが座っていたので、写真24を撮ってメールアドレスを聞いて送る約束をしました。
ロスアンゼルスのホテルは空港のヒルトン・エアーポートに泊まり、夕食は1階のレストランのバッフェを利用。
明日は帰国と思ったら安心してグラスワインを3杯も飲んでしまいました。

写真25

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8日、JL061便ロスアンゼルス11:50発、翌9日成田16:25着の飛行機で無事帰ってきました。
飛行機の中で時々ナビゲーション(写真25、26)を見ながらどの辺を飛んでいるのか確認をし、千葉の九十九里浜の漁港(写真27)が見えたところで、この紀行文のペンを置くことにします。